中国共産党理論誌の「求是」は1日付で、西側諸国の民主主義を批判し「退化しつつある」、「人類文明に災難をもたらす」と主張する署名記事を発表した。他の中国主要メディアも同記事を転載した。

  西側諸国の民主主義と、中国おける研究を批判する記事の執筆者は、復旦大学で国際政治を研究する蘇長和教授という。

  文章は、西側諸国の民主主義を取り入れようとして「苦い果実を飲み込んだ国は多い」、「多くの発展途上国が崩壊し、民主の文字が刻まれた墓標も数多い」と主張した。

  民主主義を研究する中国の学者の多くは、「無意識下に西側諸国の民主を“完全版”との思いがあり、場合によっては無自覚に(中国の)“非民主”を探そうとする」、「国際学会でも自虐的な心情を持ち、いつも(西側国家という)師匠に顔を合わせられないと意識している」と決め付けた。

  西側諸国の「民主」が衰退を示す現象があると主張し、例として「エリートと群衆の乖離」、「高いレベルの国債発行」、「政治家の無責任な約束」、「投票率の下降」、「独占される世論」、「対外的な専制的な干渉」を挙げた。

  先進国が採用する民主主義について「人々は、ますます物足りなさを感じ、取るに足らないものと思うようになっている」、「民主制度はますます、合法的に外国人をしいたげるものとみなされるようになっている」、「民主制度は対立と分裂を作るものであり、“合法的”な戦争をますます多く生み出すものと認識されるようになった」などと主張。

  「これらの民主制度は、人類がめざすすばらしい政治の方向では、絶対にない。この種の民主制度は人類文明に災難をもたらすものであり、中国には絶対に必要ないものだ」と論じた。

  蘇教授は、西側諸国の民主制度の基本である「選挙」も批判。「中国語の『選挙』の語は、『ellection(選挙を指す英語)』よりもっと豊富な意味を持つ」と主張した上で、「中国で国を治める人は、政策決定の上で『選』も『挙』もしっかりと重んじる。特に『挙』の部分だ」と論じた。

  中国の現状は「中華民族の偉大なる復興の歴史的時期」と主張し、「背景にある長い道のりと制度の持つ力を無視して、外部の者と後世の者は、われわれを嘲笑することなどできない」と主張した。

**********

◆解説◆
  蘇長和教授の文章は「学究」を専門とする者が書いたものにしては、強引な論理が目立つ。まず、「国情を無視した性急な民主主義導入」を試みて失敗した事例が多いことは、認めてもよいだろう。民主主義は、国民一人ひとりが国の運営の最終責任者となるという前提があるからには、国民が十分に成熟していないと、かえって「独裁者」を生みだす場合もある。

  ただしそれは、民主主義の理念の欠陥ではなく、導入の段取りの問題であるはずだ。蘇教授は「民主主義が金持ちの遊びであるなら」といった表現もした。確かに、国がきわめて貧しく、国民の多くが「政治の理想」を考える余裕がない場合、民主主義の導入が弊害をもたらすこともある。

  そのため、発展途上国の多くで「開発独裁」などという政治形態が発生した。共産党主導による中国の改革開放も、「開発独裁」の1種と考えてよいだろう。

  しかし、経済が発展すると同時に、「独裁」を抜け出して、民主制度の導入を進めた国や地域も多い。よい例が台湾だ。かつての国民党は、現在の共産党以上の「恐怖の独裁」制度を築いていた。経済が発展するにつれ、民主を求める声が強くなった。国民党の後ろ盾になっていた米国でも、台湾の体制を批判する声が高まった。

  その結果、台湾では国民党が独裁体制を放棄することになった。政権交代も実現した。少なくとも現在の台湾は「中華系住民が大多数の社会でも、民主主義は十分に通用する」という事実を証明しつづけている。

  仮に蘇教授の「国情の違いがあれば、民主主義の採用が不可である場合がある」とする主張が正しいならば、「中国(大陸部)と台湾は、そもそも異質な社会」ということの“証明”になってしまい、中国人が台湾人を「同胞」と呼ぶこと自体、“むなしいラブコール”になってしまう。

  蘇教授が指摘する「西側国家で多発している、民主制度の衰退」は、ある意味で「するどい指摘」と評価してもよいだろう。民主主義国家における国民も、その問題点を痛感しているはずだ。ただし、政権担当者は、批判的世論を重視せざるをえなくなる。理由は簡単だ。次の選挙で落選するからだ。かくして民主主義国家では、世論と政権担当者の間で、自然なフィードバックが成立する。

  単純に言えば、中国の制度は政権を担当している共産党についての「性善説」が前提と言える。共産党の責任者が良心的で十分な能力を持てば、国全体は急速によい方向に向うはずだ。しかし、責任者に問題がある場合、是正の手段は少ない。

  民主主義国家では、選挙制度などが原因になって、与党が頻繁に交代し、政治の一貫性が保てないという問題点はある。混乱も生じる。しかし、民主制度は政権担当者の「性悪説」が前提になっている。「不正やミスをする可能性は常にある」とみなすことが前提で、「失敗すれば、交代させる」システムを構築している。

  蘇教授の主張には、民主主義制度の導入や、民主主義制度が直面する問題点を列記する一方で、民主主義が本来持つ理念の是非などについては思索を回避する傾向が目立つ。民主主義国家の対外政策で見られる問題点についても「民主主義国家では必然的に発生する問題」なのか「民主主義国家であるにもかかわらず、理念に反する対外政策を行っているのか」といった、論理的考察はない。

**********

  中国のこれまでの「政治事情の法則」から見て、同文章が共産党の理論誌に掲載されたこと自体が、注目に値する。民主制度についての強い調子の批判が発表された背景には、「民主」を巡って共産党内部でかなり激しい“闘争”が発生している可能性がある。さらに、その“闘争”は、単純なイデオロギー対立ではなく、深刻な権力闘争である場合もある。(編集担当:如月隼人)