アルカイダの最高指導者であるウサマ・ビンラディン。3,000人弱の犠牲者を出した2001年9月11日同時多発テロを主導したといわれている。アメリカが威信をかけて、世界最高レベルの情報網を駆使した上で捜索してきたのだが、10年かけても身柄を拘束することはできなかった。

ところが、事態は急転直下。5月2日の未明、パキスタンの首都イスラマバードの近郊で、アメリカの軍事作戦によって、ビンラディンは殺害された。5月1日の夜、オバマ大統領は緊急声明を発表(日付のずれは、時差によるもの)。「正義は遂行された」「ビンラディン容疑者の殺害によって、より安全な世界が訪れる」などと語った。

ビンラディンの殺害を知った人びとがホワイトハウス周辺に集結し、「USA! USA!」の大合唱がはじまる。テレビの報道やネットの画像と映像を見るかぎり、かなり多くの人が集まっていたことはわかる。もちろん、アメリカ各地でどれだけの人数がビンラディンの死に歓喜していたのかは、不明である。

ビンラディンが、同時多発テロという未曾有の凶悪事件を引きおこした張本人であることは、周知の事実である。また、不条理なかたちで死に追いやられた犠牲者の遺族たちが、この10年、あじわってきた苦い思いは、想像を絶するものであろう。だがしかし、そういう前提があったとしても、オバマ大統領の声明と歓喜する人びとの姿に、我々日本人の多くは、ある種の違和感を感じたのではないだろうか。

アメリカは、ビンラディンという人物を殺したのである。人を殺しておきながら、そのことを大統領が堂々と声明で発表する。そして、その人を殺したという発表を知った人びとは、歓喜の声をあげる……。つまり、このアメリカによるビンラディン殺害とその後の経過については、国が人殺しをして、国民はその人殺しを歓迎するという構図だともいえるのだ。

例えば、日本の学校で「いのち、たいせつに」などと子どもに教えている先生方は、いのちの尊さを説く宗教者は、そして死刑廃止を訴える人びとは、他者に対してこのアメリカで起きている事実をどう説明するのであろうか。すこし悪いことをした人は、殺さない。すごく悪いことをした人は、殺してもいい。まさか、そんな説明はできないと思う。

一方、犠牲者の遺族が、ビンラディンの罪は死をもって償うべし、という心情をいだくのは、いたしかたないような気もする。程度の差こそあれ、殺された側が殺した側に復讐の念をいだくのは、ある意味で当然のことでもある。そう考えない遺族もいるとは思うが……。とはいえ、ビンラディンにも遺族がいて、その遺族にとってはアメリカが「殺した側」になるという点を忘れてはいけない。

「USA!」と叫ぶ人びとの様子は、まるで祝祭のようであった。ビンラディンを擁護するつもりは一切ないが、国のトップが人を殺したことを堂々と発表し、それを祝う群衆の姿を見ているうちに、筆者は「ほんとにこれでいいのか」という割切れない気持ちになってしまった。読者のみなさんは、どんな気持ちで声明を聞き、群衆の姿を見ていたのであろうか。

(谷川 茂)